船橋・市川で知っておきたい永代供養墓を一挙紹介!

永代供養の歴史とは?

    

近年、お墓に対する考え方において大きな転換期を迎えていますが、それがどのようなものなのか理解するためにも永大供養について知る必要があるでしょう。

永代供養墓がどのようにして生まれたものなのか詳しく解説していきます。

500以上の霊園などで実施されている供養の形

永代供養という考え方は、比較的新しいものです。従来の日本のお墓は明治時代に制定された家制度に基づくもので、先祖代々が一つの墓に埋葬される形が基本となっていました。家を継ぐ跡継ぎが家墓も継ぎ、寺院の檀家として供養と管理を続けるスタイルですが、この形は時代の変化によって運営が難しくなっているのが事実です。

個人より家が優先される社会が徐々に変化し、個が尊重される時代が訪れたことにより、家のあり方も人の生き方も非常に多様化しているのが現代です。もちろん従来形を守ることも自由ですが、生涯独身の自由や子を持たない自由が認められる中、家墓の引き継ぎが難しくなるのも無理からぬことでしょう。

こうした新しい時代に即した形で生まれたのが永大供養です。墓を引き継ぐ跡継ぎがいなくても、寺が墓を管理し、供養を継続してくれます。すでにこうした形での供養は日本全国500以上の霊園などで実施され、安心してこの世を去ることができる環境となっているのです。

新しい時代に即して登場した歴史的な供養法

永代供養の考え方は、1985年頃に登場していました。滋賀県大津市の比叡山延暦寺は、かの有名な天台衆の総本山であり、平安時代に最澄が開いた寺院です。ここで登場したのが久遠墓と呼ばれる日本最初の永代供養墓です。

2,000基近くの個人墓や夫婦墓を設置する広大な敷地の中にそれはありますが、当時すでに出生率が減少を始め、日本の少子化が止まらないことが予測されてきた時代です。墓についても跡継ぎに悩む家が増加し、延暦寺に家墓を持ち続けることに悩んだ檀家からの声に応えて登場したのが引き継ぎを必要としない久遠墓でした。誰もが知る延暦寺が始めたこともあり当時メディアで何度も取り上げられた新しい試みでしたが、その考え方に賛同する声は全国から寄せられました。

1987年には新潟県角田山妙光寺で安穏廟が、1990年には東京都巣鴨の「もやいの碑」などが開設され、徐々に永大供養の考え方はさらに浸透していきます。そして1999年に「墓地、埋葬等に関する法律」が一部改正され、墓を移す改葬の複雑な手続きが大きく簡略化されたことで、本格的に永代供養が普及することになったのです。

大きく意識を変えた安心の形

永代供養は登場した当初は、やはりまだ馴染まないと感じる人たちも少なくありませんでした。でも本格的な普及につれて永代供養墓に対する意識も変わり、今では積極的にとらえる人のほうが大半です。

特に2000年以降、永代供養墓は本格的に進み、誰もが安心して任せられる供養法となりました。間違いのない運営をおこなう寺院も増え、外観も希望に沿うものが現れるなどして、意識がどんどん変わっていったと言えます。

船橋ではありませんが、同じ千葉県の市原市がおこなった意識調査によると、平成19年度には永大供養に対する評価は非常に高くなっています。生前から積極的に利用したいと希望する人も年々増加し、自身が安心して老後を過ごすための心の支えとしても、永大供養墓は確立されているのです。

 

永大供養墓の歴史は1985年の比叡山延暦寺、久遠墓が前身と言えます。本格的に普及し始めたのは2000年以降で、1999年に部分改正された法律によるところがとても大きいでしょう。

現在では500以上の霊園などで採用されており、生前から自分の供養を希望するなど、安心して任せられる心の拠り所ともなっています。船橋を始め千葉県にも安心できる永大供養墓所が数多く存在しており、住民の意識調査でも高い評価を得ています。